
――礼文・利尻・稚内から茶と自然を見つめる
北海道最北の地、稚内、礼文島、利尻島を巡り、一週間ほどの旅を終えて東京へ戻りました。
今回の旅で強く感じたのは、「自然を見る」ということと、「自然の中で暮らす」ということは、まったく違うということです。
旅人である私たちは、美しい海や山を見て感動します。
しかし、その土地で一年を通して暮らす人々にとって、自然は美しさだけを与えてくれる存在ではありません。
強風、雪、低温、海の荒れ。
特に北海道北部では、短い春・夏・秋と、長く厳しい冬のあいだで、人々は自然と向き合いながら暮らしてきました。
その一方で、海は利尻昆布やウニ、蟹、帆立など、豊かな恵みももたらします。
厳しさと豊かさ。
相反するように見える二つの性質が、一つの自然の中に共存しています。
この風景を見ながら、私は中国茶で繰り返し語られてきた「天地人」という言葉を思い出しました。
茶は、人の技術だけで完成するものではありません。
「天」――気候、雨、日照、気温。
「地」――土壌、標高、地形、生態環境。
そして「人」――栽培し、摘採し、製茶し、最後に一杯の茶として仕上げる人間の知恵。
この三つが調和して、初めて一つの風味が生まれます。
私たちは茶を学ぶとき、ともすると品種名、製法、発酵度、焙煎、香気成分といった「知識」に注目しがちです。
もちろん、それらは非常に重要です。
しかし、現地を歩くと、その知識の背景には必ず「環境」と「人間の暮らし」が存在することに気づきます。
なぜ、この土地でこの作物が育つのか。
なぜ、この季節に収穫するのか。
なぜ、この加工方法が生まれたのか。
そして、なぜその土地の人々は、その方法を何世代にもわたって守ってきたのか。
茶文化を理解するということは、茶葉だけを見ることではありません。
土地を見ること。
気候を見ること。
人の暮らしを見ること。
そこまで見て初めて、「一杯の茶」が持つ意味が立体的に見えてくるのだと思います。
礼文島や利尻島では、観光の季節が終われば、島は長い冬へ入っていきます。
季節によって人の流れも仕事も生活のリズムも大きく変わります。
こうした姿を見ていると、武夷山、安渓、雲南、台湾の高山茶区など、茶の産地にも共通するものを感じます。
産地には、産地独自の時間があります。
都会の時計とは違う、自然に合わせた時間です。
人間が自然を一方的に変えるのではなく、自然を読み、その条件の中で最善を考える。
それこそが長く受け継がれてきた農業文化であり、茶文化の根底にもある考え方でしょう。
そしてもう一つ、今回の旅には個人的な理由がありました。
生前、父は礼文島を二度訪れ、利尻や稚内を好んでいました。
父の一周忌を前に、その土地を自分自身でも歩いてみたいと思ったのです。
同じ山を眺め、同じ海を見て、同じ北の風に吹かれる。
そうすることで、写真や言葉だけでは分からなかった父の気持ちが、ほんの少し理解できたように感じました。
学ぶということも同じなのかもしれません。
資料を読むことは大切です。
知識を得ることも必要です。
しかし、現場に立ち、自分の五感で感じることで、知識は初めて「実感」へと変わります。
茶を教える立場にある私たちだからこそ、知識だけではなく、その背景にある自然、人間、歴史、暮らしまで伝えていきたい。
北の大地を歩きながら、改めてそう感じました。
一杯の茶の中にも、「天・地・人」があります。
そして私たち自身もまた、その天地の間を生きる一人の「人」なのだと思います。
(文章・写真:華泰茶荘五代目店主 林 聖泰)

コメント